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「希望」が「絶望」に変わった瞬間

雑事 シカゴ

今年の3月中旬に起こった出来事を思い出すたびに胸が痛む。私にとっては、事件と呼ぶほうがぴったりとくる出来事は、乳がん患者さんのお嬢様からの電話で始まった。電話の向こうからの必死な思いが伝わってくる。「今、先生が開発した薬の治験を受けにシカゴに来たのですが、条件に当てはまらないと言われた。すでに、シカゴに長期滞在できるアパートを借りているし、何とかできないものでしょうか?」

 

治験を受けることができないと言われて、私のオフィスの電話番号を探し出して電話をかけてこられたようだ。最初は、寝耳に水で事情が理解できなかったが、日本の主治医の紹介で、自分でシカゴ大学に連絡を取り、メールのやり取りを経て、治験の条件に該当するとの回答を得たようだ。そして、アパートなと、すべて手配をして万難を排しての訪米であった。すぐ近くに来られている日本人の患者さんをそのままにすることもできないし、ましてや、私が開発にかかわった薬の治験を受けに来られた患者さんなら、なおさらである。

 

まず、詳しい事情をお伺いするために、翌日、患者さんたちが滞在しているシカゴのダウンタウンにあるアパートを訪問した。患者さんは、かなり進行した乳がん患者さんで、日本ではこれ以上の治療法がないと宣告されていた。昨年の夏に、オンコセラピー社が新規分子標的治療薬の治験をシカゴ大学で始めるとの報道を見て、主治医と相談し、それを受けるべく備えをし、シカゴ大学との連絡を取った上での受診であった。

 

しかし、実際に来て受診すると、標準的な抗がん剤治療を受けていないので、治験の対象とはならないと言われたとのことであった。私が訪問した翌日に、改めてシカゴ大学病院で、私が親しくしている教授の診察を受けると聞いたので、教授と連絡を取り、最善の方法をとってくれるように依頼した。お二人には、診察後に私のオフィスで再度話をすることにして、大学に戻った。生きる希望を託しての訪米が、まったく無意味になっては申し訳ないと思いつつも、厳しい現実にどう対応していただけばいいのか、頭の中に????が無限に広がった。

 

次の日の午後、私のオフィスに訪ねて来られ、私に「標準的な治療法を受けていないので、治験は受けられませんと言われました。」と悲しそうな顔で伝えられた。話をしているうちに、お二人の頬からポツリ、ポツリと涙が流れ、希望を与えるつもりが、より深い絶望を与えてしまった現実に、どんな言葉をかけていいのかわからなかった。半年以上、複数の薬物療法を受けておられたが、日米で共通の標準的な抗がん剤治療がリストにはなかった。何もしてあげられない自分が悔しくてならなかった。

 

しばらく話をした後、タクシーを手配して、お二人を玄関まで送っていったが、タクシーに乗り込む姿が、涙で霞んでよく見えなかった記憶が頭から離れない。1か月後の4月下旬に、ご主人とお嬢様から、患者さんが亡くなったとの連絡をいただいた。目の前にある治療を受けられない場合、最後まで希望のある最善の治療を受けられて場合と比べて、残された家族の心の痛手はより大きいという。申し訳ない気持ちでいっぱいで、何もできなかった自分が悔しくてならなかった。

 

がん患者さんに最後まで希望の光を・・・と思ってやってきたことが、より深い絶望を与える結果となり、残された家族の悲しみを深くしてしまったのではと、自責の念がよぎってしまう。シカゴで「希望」が「絶望」に変わった瞬間、患者さんとお嬢様が感じたことは、私の想像よりもずっと過酷だったかもしれない。この患者さんだけでなく、がんワクチンや滑膜肉腫の抗体医薬品でも、同じ思いをした経験がある。何が正しいのか、自分でもわからなくなってしまう。でも。歩みを止めるわけにはいかない。

 

徳川家康ではないが、本当に「人生は重荷を背負いて、長き道を行くが如し」である。

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