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「努力」か「小賢しさ」か

私は2001年にオンコセラピー社を設立した。正確には、私が立ち上げたというよりも、私の「日の丸」印のがん治療薬を作りたいという夢に賛同する人たちが集まり、CSKベンチャーキャピタルの支援によって活動を始めた。自ら会社を設立するなど、全く縁のない話であると思っていたが、現研究の成果を論文という自己満足で終わらせることなく、社会に還元するというゴールを目指して必要不可欠と考えたからである。

 

私が1989年に日本に帰国したあと、200人以上の若手研究者たちが、私のもとで研鑽を積み重ねてきた。自発的に入門してきて者もいれば、上司の命に従って嫌々ながら中村研究室に入門した者もいる。途中で逃げ出した者もいるし(最短1週間で逃げ出した、私の常識では理解不能の人もいた)、私からお引き取り願った者もいる。最後まで頑張りぬいた研究者は、おそらくそれまでの人生でも、その後の人生と比較しても、最も厳しく濃厚な期間を過ごしたのではないかと思う。そして、その経験が、彼ら・彼女ら人生の糧となってくれているものと願いたい。

 

どの分野でもそうだが、研究の世界での競争は、決して平等でもなければ、公平・公正でもない。どんなに公平に評価しようと思っても、人間のやることには限界はある。ましてや、評価者の目が曇っていたり、公平という概念が欠落していれば、まともな評価など期待できるはずがない。私は、この評価制度の確立こそ、わが国の最大の課題であると思っている。

 

したがって、世の中というのは、本来、理不尽なものであることを悟って、努力していくしかない。私はできる限り公平な評価に心掛けているが、私の評価の物差しは、「結果」ではなく、「いかに努力したのかというプロセス」にある。私は努力をしない小賢しい人間が大嫌いである。頭のいい研究者が、努力もせずに、80点の成果をあげたとする。能力的に劣っている人が、一生懸命に努力して70点の成果をあげる。私は後者の人間を高く評価する。努力を続けるものは、70を80や90に引き上げる可能性を持っているが、小賢しい者は成長しない。

 

たとえ、どんな環境に置かれていても、努力し続けることのできる人は、周囲の人に対して必ずプラスの効果をもたらすことができる、しかし、小賢しい人間は、まわりのやる気を削いでしまうと考える。また、小賢しい連中は、たいていの場合、上司に取り入るのが上手である。そして、その上司に可愛がられ、その人たちが出世していくと、組織は崩壊し始める。残念ながら、人生の目的が、自分の出世であるタイプには、この小賢しい連中が多い。

 

この小賢しい人種の繁殖が、医学・医療の分野を大きく歪めつつあるように思う。自分の力と、自分の所属している施設の力を勘違いして尊大に振る舞っている人間も多く見かける。こんな腹立たしい人物と話をした後、私は下記の言葉を思い浮かべて、自分の原点を忘れないように言い聞かせて、自分自身を戒め、冷静になるように努める。

 

私の出身大学の前身である、適塾の創始者、緒方洪庵は、扶氏経験遺訓(フーフェランドの内科書のハーヘマンによるオランダ語訳を重訳したもの)に下記の遺訓を残した。「医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思はず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救はんことを希ふべし。人の生命を保全し、人の疾病を復治し、人の患苦を寛解するの外他事あるものにあらず。」この医療の原点を忘れずに、研鑽を積み重ねる人たちが増えてくれることを切に願っている。

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