読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

米国の独立記念日と日本の建国記念日

昨日7月4日は米国の独立記念日であった。日が長いので午後9時になってようやく薄暗くなる。その頃から、爆竹の音がいろいろな方向から聞こえてくる(10日ほど前のような銃弾の音ではないことを願う)。私のアパートの部屋からは180度近く地平線が見渡せるが、広い範囲で、数十ヶ所から花火が打ちあがっているのが見えた。目の前のジャクソン公園や科学博物館の裏の駐車場からも、花火が打ちあがっていた。ダウンタウンの公園には10万人を超える人が花火見学に訪れたそうである。国が独立した記念日を、多くの米国人が素直に祝っている姿を見ると、日本という国と、米国という国の底力の違いがわかるような気がする。

f:id:ynakamurachicago:20140706060239j:plain

アメリカ人が国歌を聞きながら、星条旗が掲揚される様子を見ると、自分の国に誇りを感じていることが伝わってくる。日本は米国よりもはるかに長い歴史と伝統を持ちながら、国歌「君が代」や国旗「日の丸」はオリンピックやワールドカップ、そして相撲などの場の行事用の「歌と旗」のようになってしまっている。学校の現場で国歌や国旗を疎かにすることを教えられた若者が、どうして自分の国に誇りを持つことができるだろうか?さらには、自分の国に誇りを持つことが、右翼的な思想のように批難される傾向にあるが、本当にこれでいいのだろうか?若い人たちが、自らの住んでいる国に誇りを持てないような国が、将来の発展を望めるのだろうか?

話は少しずれるが、飛行機の中で「永遠の0」という映画を見た際、思わずポロリとなり、キャビンアテンダントさんにクスッと笑われたことがある。映画で取り上げられた「神風特攻隊」だけでなく、「ひめゆりの塔」など二度と起こしてはならない悲しい不幸がある。しかし、彼ら・彼女らのように国のために命を落とした方々の上に、われわれの今日が成り立っている。悲劇を回避するには、悲劇とその背景を直視することが不可欠だし、性善説だけですまないことは歴史が証明している。若者に、日本の歴史をしっかりと教え、悲劇を繰り返さないために何をすべきかを考えてもらう教育が必要なのではなかろうか?

確かに、建国記念日と言われても、日本ではあまりにも遠い昔のために、その日付に実感を覚えるのは難しい。しかし、国が定めた以上、素直に日本という国の素晴らしさを改めて意識する日と考え、国旗を眺め、国歌を聴いて、日本の伝統・世界に誇る部分を考える日にして欲しいものだ。「3・11」の地震・津波後の整然とした被災地の方々の行動を見て、世界中がその規範の高さに感動した。ワールドカップで敗退した後に、ごみを片付けた日本人サポーターの姿が賞賛された。世界遺産を誇ることも大事なことだが、日本人のこのような人間的な素晴らしい姿を世界の人たちにもっと知ってもらうことが必要ではないのか?といっても、奥ゆかしい日本の伝統では、このようなことを吹聴することは諌められるかもしれない。

f:id:ynakamurachicago:20140706060332j:plain