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二宮尊徳はどこに行ったのか?

雑事

日本の教師は働きすぎているという産経新聞の記事を目にした。経済協力開発機構(OECD)加盟国など34か国の調査で、調査した国のうち唯一1週間の勤務時間が50時間を超え、53.9時間であったとのことである(http://sankei.jp.msn.com/life/news/140625/edc14062522310005-n1.htm)。夏休みなどの期間を含んだ平均時間なのかどうか気になったが、それでも週平均54時間で働きすぎと言われると、医師や研究者の世界はどうなるの?と考え込んでしまった。

 

確かに、記事にあるようにいじめや不登校の問題などの負担が大きくなったのが一因だと思うが、医療と同様に、教育は非生産的な浪費・消費と考える人が少なくなく、これらの分野への投資を怠った国の政策のツケが、医師や教師の長時間勤務として顕在化してきただけではないのだろうか?わが国のような資源の限られた国では、人を育てる、質の高い医療を提供することによって、優秀で健康な人材を確保することこそ、国の発展への基盤となることは自明の理である。明治維新後、わが国が欧米と並ぶ国家として急成長した最大の要因は、人材を育成したことにあると思う。先人達の経験をどうして生かせないのだろうか?

 

しかし、他の33カ国より勤務時間が長いことは事実であろうが、短いほうに横並びにする必然性あるのかどうか、私にはわからない。道徳の時間に二宮金次郎(尊徳)を例に勤勉さの重要さを教わった身として、他人より勤勉に努力することが美徳ではなくなった状況は寂しい限りである。また、最近の若い人を見て感ずるのは、教わる側のマナーに欠ける、教えてもらって当然であるという甘い考えを持った人たちが増えてきたことである。外科医になりたての頃、手術が上達できるように、先輩たちの一挙手一投足に注意を払い、上手な外科医と下手な外科医はここが違っていると、先輩の技術を盗むべく必死で励んだ身として、「手取り足取り教えてくれるのを待っている」「教えてくれないと駄々をこねる」若者の姿に失望を覚えざるを得ない。実験技術でも、先輩たちの動作を見て覚えようとはせず、自分が必要な時に誰かが教えてくれるのが待っているようでは成長しない。切磋琢磨は死語となったのか。

 

勤勉・努力が古臭く、ダサい言葉とられがちだが、日本から勤勉と努力が失われれば、日本の復活はありえないと考える私自身が古臭いのだろうか?


愚痴で終わると、ますます自分が年寄り臭くなったように思うので、一昨日見た美しい虹の写真で締めくくりたい。強い嵐が去った直後、突然現れたものである。これまで何度も虹を見たことがあるが、眼下から虹が生えている(適切な表現力に欠けていて申し訳ありません)のを見たのは初めてである。



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