がんプレシジョン医療入門-4;遺伝的危険因子

遺伝的な危険因子を定義することは簡単ではないので、まず、わかりやすい例から紹介したい。食道がんには、喫煙と飲酒がリスク生活要因であることがよく知られている。これに、遺伝的危険因子が組み合わさった時に、食道がんのリスクがどのようになるのか図で示す。

まず、基礎知識として、アルコール(正確にはエチルアルコール;C2H5OH)は消化管から吸収された後、肝臓で、ADH(アルコール脱水素酵素)によってアセトアルデヒドに変換され、引き続いて、ALDH2(アルデヒド脱水素酵素)によってアセトアルデヒドから酢酸に変換される。そして、酢酸は水と二酸化炭素に分解され、体外から排出されます。エチルアルコールより、メチル基が一つ少ないメチルアルコール(CH3OH)も飲むと酔いを生ずるそうだが、決して飲んではいけない。これは、メチルアルコールが、分解されてホルムアルデヒド、蟻酸になり、この蟻酸が有毒だからである。特に、視神経を損傷して失明につながる。もちろん、量が多ければ致死的である。日本が貧しかった頃、工業用のエチルアルコールを引用して、不純物として混入していたメチルアルコールのために失明するという不幸があった。これ以外にも、われわれに馴染みのあるアルコールとしてイソプロピールアルコールがある。消毒用に使われているので、鼻を突くようなアルコール臭を嗅いだことがあると思う。

さて、本題に戻るが、喫煙も飲酒もしない人で、食道がんリスクを比較すると、アルコール代謝酵素の食道がんリスク遺伝子多型を両方持つ人は、食道がんリスクが6.79倍に高まる。

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(松田浩一ら、Gastroenterology、2009より改変)

 

遺伝的要因がないが喫煙・飲酒をする人は、食道がんリスクが、遺伝的・生活要因危険因子が全くない人の3.44倍である。大半の食道がん患者は、飲酒・喫煙のいずれか、あるいは、両方の生活要因背景がある。

そして、遺伝的・生活要因危険因子が4つ揃うとどうなるのか?図から明らかなように、これらの人は、食道がんリスクが、遺伝的・生活要因危険因子が全くない人の189倍となる。遺伝的な危険因子がそろっているが、飲酒・喫煙しない人と比較すると、飲酒+喫煙は食道がんリスクを約28倍高めるのである。3.44X6.79は23であるので、遺伝的な因子に、生活要因が加わるとそのリスクは相乗的に高まることがわかる。しかし、数字そのものは非常に高いように映るが、前回紹介した遺伝的決定因子に比べれば、これらのアルコール分解酵素の遺伝子の違いの持つ重みは小さい。

そして、これらのアルコール代謝酵素の遺伝子多型はどうすればわかるのか?実は、遺伝子を調べる必要はない。お酒を飲んで顔が赤くなる人と置き換えてもいいくらい簡単だ。顔が赤くなる人は要注意です。飲み過ぎないようにしてください(と、いつも自分に言い聞かせている)。

これ以外にも、多くのリスク要因がゲノム解析によって明らかにされているが、それぞれのがんのリスクを1.3倍、1.5倍に高めるレベルだ。たとえば、われわれのデータでは、肺がんのリスクを1.3倍程度に高める遺伝的多型がp63遺伝子(代表的がん抑制遺伝子p53の親戚のような遺伝子)とTERT遺伝子(染色体末端のテロメア合成に関わる;加齢と共にテロメアは短くなり、寿命と関係することが示唆されているが、がん細胞ではテロメアが長くなっており、生存に有利と考えられている)で見つかっている。1.3倍と言う数字を軽視する研究者がいるが、毎年7万人強が肺がんで亡くなっている。リスクが1.3倍というのは、年間5.5万人か、7万人かの違いである。リスクを知った上で、検診のあり方を変えていくのが、プレシジョン医療である。

2006-2008年に診断されたケースで見ると、肺がんの男性患者の5年生存率は依然として30%弱だ(女性の場合には40%を超えているが、これは、EGFRに異常のある割合が高く、それに対する分子標的治療薬が有効に働いているからであろう)。リスク診断、がん検診率の向上による早期発見が、まだまだ、不十分だ。

そして、禁煙対策が遅れている。そして、受動喫煙に関して、国立がん研究センターと日本たばこの意見が対立している。国として、情けない話だ。

https://www.ncc.go.jp/jp/information/pr_release/2016/0928/index.html

能動喫煙では、喫煙が肺がんリスクを4倍前後に高めていることは国際的に認知されている。受動喫煙はどのような形で晒されているかによって評価は難しいが、科学的に思考すれば、リスクがないと考えるには無理がある。もちろん、疫学的にしっかりした数字を求めるJT側のコメントは、タバコを売る側として当然の反論だろうが、自分で吸った人のリスクが高い以上、間接的に吸った人に害がないと考えるのは科学的な節理にかなっていない。中釜理事長には、日本の研究者・行政者を代表する形でもっと頑張って欲しいものだ。

PS; 京大不正問題は、山中先生辞職には至らず、よかった。しかし、給料を寄附するのはいかがなものかな?と思う。管理職として当然の義務を果たしたのだし、論文不正には一義的責任はないのだし。これまでも似たような例があったし、これからも類似のことが必ず起こる。その度に、所長・センター長・学部長・学長が給料返上という「悪しき前例」になると困るのでは?

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京大研究不正-3;抜本的な教育・研究体制の見直しが必要だ

京大研究不正問題で、山中先生を支援する声は大きい。是非、踏みとどまって、患者さんの期待に応えて欲しい。

しかし、この種の問題が起きるたびに、研究者や大学の管理体制が問われ、管理の厳格化が求められるが、私は、これは間違いだと思う。大学の教官は、委員会業務や書類作成などの雑務(あえて、雑務と言いたい)で、すでに多大な時間を取られ、本来の教育・研究、そして診療(病院・医学部の場合)に身を削る形で取り組んでいる。

2時間で一つの製品を作ることのできる職人がいるとする。1日8時間で4個、1週間で20個、1か月で80+アルファ個、これは小学生でもできる計算だ。超過勤務を減らす方向であるにもかかわらず、種々の業務が増えて、1ヶ月に150個、200個の製品を作ることを強いているのが大学の現状だ。これに定員削減が重なり、さらに悪化する。仕事量が増え、人が減れば、当然、それぞれの質は低下する。しかし、みんな必死で頑張っている。くだらない管理業務をこれ以上増やしてどうするのだ。この際、「足の裏の米粒」に似たような雑務をすっきりと減らせばいい。

殺人・強盗・詐欺・ストーカー・飲酒運転など犯罪行為は悪いことだと誰でもわかっている(犯罪を繰り返す人には自覚がないかもしれないが)。道徳観が身についていれば、どこかで踏みとどまるはずだが、犯罪者の身勝手な行動原理が働いている。成人に達した人たちには、法的に犯してはならないことを理解すると共に、基本的な道徳観念を身につけていなければならない。朝起きてから、夜就寝するまで監視をして、不正行為をチェックするなどできるはずがない。今回の件など、上手に嘘をつく人間がいれば、絶対に防ぎようがないと思う。

性善説を信じたい人間にとっては、性悪説に基づいて、すべての部下を疑って考えることなど苦痛である。私は他人を騙されるくらいなら、騙された方がいいと思って生きている。もちろん騙されたことがわかった時には怒りがこみ上げるが、ストレスで血圧や血糖が上がっても我慢するしかないのが現実だ。もちろん、違法行為なら司法に訴えることもできるが、おかしな人間と戦うには、労力も、時間も、そして、民事なら、お金も必要になる。そして、それが無になることもある。別案件での自己体験から考えると、実にくだらないことだ。

大学での倫理問題も厳格化を進めれば、進めるほど、医師・研究者のみならず、事務職も、忙しくなっていき、自分で自分の首を絞めているような状況となる。ノートをチェックするような幼稚なことをするのではなく、毎週、研究の進捗について報告をさせて、ディスカッションをすれば、おかしなことに気づくだろうし、若手研究者の教育にもなるはずだ。事務的な手続きを増やすのではなく、研究者を育てるための基本姿勢を抜本的に変えることが必要なのではないのか?

この際、人を指導して、育てるために必要なこと見直すチャンスにすればいいのではないか。若い時にこそ、ノーベル賞が取れるような研究ができるはずだというご宣託の元に、一気に若手教授の数を増やす方向に舵を切った。しかし、教育や研究に重要なことは、立派に人を育てることのできる指導者を育てることではないかと思う。しっかりとした教育・研究の理念をもつ指導者を育てない限り、目先のことに目を奪われているだけでは、日本はジリ貧の道を辿るだけだ。書類による管理体制の強化ではなく、本質的、根源的に、人を育てることために何かが欠落している現状を見直す必要がある。われわれの世代には、人間的に魅力のある指導者がたくさんいた。その人たちを通して、「教授になりたい、賞が欲しい」といった自己欲ではなく、患者さんのために、医学のために、国のために、「こんな指導者になりたい」という思いが湧き上がったものだ。

今、日本に人を育てることのできる指導者がどれだけいるのだろうか?繰り返して言うが、山中先生には踏みとどまって欲しい。

京大論文不正-2

山中伸弥先生の記者会見の様子をビデオで見た。「不正を防げず、無念」とのコメントだったが、私は不正など、組織がとてつもない努力をしても、防げるはずがないと思っている。性善説に経てば、努力によって防げるはずだが、世の中から犯罪がなくならないのと同様に、絶対にこのような不正はなくならないように思う。偉そうに言っているメディアでも不祥事は起こっているではないか!

そして、どう考えても、この件の一義的な責任は、研究者とその直属の上司にある。山中先生が所長を辞職しなければならないような理由はどこにもない。この立場にとどまって、日本で、そして、世界で、山中先生に期待している患者さんや家族のために尽くすべきだと思う。

それにしても、「論文の見栄えをよくしたかった」という理由が述べられていたが、幼稚すぎて唖然とするしかない。とても、30歳を過ぎた大人の発言ではない。見やすい図や表を作ることと、数字や図を改竄することは全く異次元の話だ。30歳代半ばの研究者が、「見栄え」と「改竄」を区別できないことには驚きを禁じえない。

(私のことが紹介されていた)昔の雑誌を整理していたところ、2005年の日経バイオビジネスに、当時、京都大学の特任教授だった柳田充弘先生の論文不正に対するコメントが目に付いた。「一人前の研究者になる前に、正直であることの重要性を教育することも重要だ。その意味で指導者の役割は大きい」とあった。私もそう思う。しかし、助教というポジションは、学生や大学院生にこれを教えるべき立場であり、この人物は、学生・大学院時代にこのような教育を受けていなかったことになる。「データを改竄する」ことに罪の意識を覚えないかどうかは、基本的には道徳心の問題だ。家庭教育・義務教育レベルの話であり、この段階で培われた基本的な精神構造は大きくなってもそれほど変わるとは思えない。

このような問題が出るたびに、研究費を獲得するための重圧だとか、高いポジションを得るために評価の高い雑誌に論文を発表したいという重圧だとか、日本の研究環境に責任を転嫁する人がいるが、これは絶対に間違いだ。今回の件は、一般社会に例えれば、詐欺行為だ。貧しくてお金が欲しいとの理由で、詐欺行為を働いた場合、「貧乏」に責任を転嫁できるはずもない。どの社会にいても競争はあり、研究者たちの甘えだ。研究者だけ、人間としてどうあるべきかという基本的な精神が欠落していることを許されるはずがない。

問題が起こるたびに実験データのチェック・管理体制の強化が叫ばれるが、所長がこんなことに時間を割いていては、もっと重要なことに費やす時間がますます制約されてしまう。ドクターXではないが、「ある役職の人には、その役職に相応しい仕事があるはずだ」。医師免許を持った人間は、それに相応しい仕事に集中できれば、もっと患者さんに対応できる時間が増え、自分の知識・技術向上につながり、医療の質は上がるはずだ。若い時にもっと研究者、指導者としてあるべき姿の教育を充実させ、大学で助教以上の立場についた人間は、自己管理、自己責任を徹底すればいいと思う。組織全体での管理など、時代錯誤で時間とエネルギーの浪費だ。私は、若くして独立させるのではなく、大講座制に戻して、立派な指導者が厳しい教育をしていく方が、日本の文化に適していると思っている。どうも、今の制度になってから、人間が小粒になってきたように思えてならない。

本題に戻すが、山中伸弥先生は、国レベルで再生医療のあるべき姿を考える人材であり、この問題で辞職が話題として上ることなど、とんでもない話だ。

頑張れ、山中伸弥所長!

京大論文不正;これでいいのか、日本メディア

ネットニュースで「京大iPS研で論文不正 山中伸弥所長が謝罪」という標題の記事を目にして、急いで記事を読み、論文を調べた。

産経新聞には「所長を辞職するか報道陣に聞かれ、『その可能性も含め、どういう形が一番良いのか、しっかり検討したい』と話した」とあった。山中先生は、この問題となった論文の著者ではない。研究所長として管理責任はあるとしても、大学の組織上、研究所長がそれぞれの研究室が発表する論文の内容に立ち入ることは、普通はない。論文に関しては、筆頭著者を含め、全著者が責任を取るべきである。

大きな研究所のトップは、自分自身の研究室の研究内容について全責任を負うのは当然だが、他者の研究室の内容・運営に口出しする事はない。研究の内容・指導・予算管理は研究室単位で独立して管理される。常識的に考えても、研究所長が多くの研究室の細かい生のデータまですべて目を通すことなど不可能だ。山中先生は日本の宝であり、この研究所が山中先生がいなくなっても存立しうるものかどうか、わずかな常識があればわかるはずだ。

この件で、山中先生が辞職することなどあってはならない。ニュースの写真で見ると、憔悴しきった表情に見え、心配だ。先週、週刊誌の記事が引き金となって、小室哲哉さんが引退を表明した。全くプライベートなことで、引退する形で責めを負う必要があるとは思えなかった。プライベートなことが、メディアで晒された上に、一般社会に向かって頭を下げて謝罪する必要があるのか、なんとも不思議な国だ。

数年前、STAP細胞騒動で、メディアは日本の再生医療の牽引役を自殺に追い込んだ。いったい、メディアとは何様なのだ。

自分たちのミスは決して認めようとしないが、他人には正義の旗を振りかざして追い詰めていく。今回のiPS研究所の問題は、山中先生には辞職をしなければならないほどの責任があるのか?山中先生は、余人をもって変えがたい存在ではないのか?

今、ここで、この研究所が「山中伸弥」という大黒柱を失えば、日本という国にとってどれほどの損失になるのか、少しは考えて欲しいものだ。辞職して海外に行ってしまえばどうなるのか・・・・・・・・

メディアには、大局観で物事を考える人はいないのか!

 

がんプレシジョン医療;入門-3

次に、がんの遺伝的要因について話を進めたい。日本では、十分な遺伝学教育、特に病気と遺伝子の関連性に関する教育、が欠けているため、がんの発症に決定的な役割を果たす因子(決定因子)とがん発症の確率をわずがに高める危険因子が混同されることが多い。専門家と称する人たちでも、この点が識別されていないことが多い。まず、決定因子の話から進める。

特定の遺伝子に変異があると非常に高い確率でがんを発症する疾患(決定因子による遺伝性がん)としては下記の例などが挙げられる。これらの原因遺伝子に異常があっても、家族性大腸腺腫症(ほほ100%の確率で大腸に多数のポリープが生ずる)を除いて100%の確率でがんを発症するわけではない。比較的確率が高いBRCA1/BRCA2異常の場合でも、生きている間に乳がん・卵巣がんを発症する割合(生涯リスク)は60-80%と推定されている。Cowden病の場合などは不明な点も多く、がんが発症する生涯リスクは10%程度と低い。ただし、75%前後が乳腺の良性疾患と診断されるとのことだ。

これらの遺伝子が見つかり始めた25年ほど前、「将来がんに罹ると診断するなどおぞましいことだ」と無知なコメントを発していたメディアが少なくなかった。医学・科学を理解しない、一面的かつ感傷的なコメントであった。そのような姿勢が今日に至るまで継続されていて、それが日本の医療のガラパゴス化を引き起こす一因になっている。

疾患名

原因遺伝子

がんができやすい部位

網膜芽細胞腫

RB1

網膜

Li-Fraumeni症候群

p53

骨軟部(脳・副腎など)

家族性大腸腺腫症

APC

大腸

遺伝性非腺腫性大腸がん

DNAミスマッチ修復遺伝子

(MLH1,MSH2,MSH6,PMS1,PMS2)

大腸・子宮(卵巣・胃など)

Wilms腫瘍

WT1

腎臓

家族性乳がん・卵巣がん

BRCA1,BRCA2

乳腺・卵巣

Von Hippel-Lindau病

VHL

腎臓(脳・副腎など)

多発性内分泌腫瘍症I型

MEN1

下垂体・膵臓(内分泌)・副甲状腺

多発性内分泌腫瘍症II型

RET

甲状腺・副腎

Cowden病

PTEN

乳腺・甲状腺・子宮など

遺伝性黒色腫

p16

皮膚(メラノサイト)

 

上記の疾患は、常染色体優性遺伝性の疾患である。もちろん、突然変異によって、両親には存在しない遺伝子変異が子供にだけ生ずることがあるのだが、親がこれらの遺伝子変異を持っていれば、50%の確率で子供に伝えられる(継承される)。遺伝子診断を受けるか、受けないかは、個人の自由だが、診断を受けて陰性であれば、精神的な負担から開放される。この点が全く理解されていない。陽性であれば、頻回に検査を受けることによって、がんで命を落とすことを回避できる可能性が高くなる。

生命倫理学者の中には、何か足らないことを批判することだけに生き甲斐を感じている人たちが少なくない。陽性と判断されれば、「いつ、がんが発症するかもしれないという精神的な負担が生ずる」ことは否定できない。これだけを強調して、「遺伝子診断は恐ろしい」と、さも自分たちこそ弱者の味方だというフリをする。しかし、優性遺伝である以上、親がその疾患に罹患していれば、子供は50%の確率で決定因子を受け継ぐのだ。この世に生まれてきた以上、「50%確率」という運命は変えられないのである。この現実を前提に、がんで命を落とさないためにと考えることはできないものなのか?もちろん、陰性にならば、「50%確率」という不安から解き放たれる。問題を提起した人たちは、陽性の方たちの精神的不安を和らげるための活動などをするわけでもないし、患者さんが抗がん剤治療で苦しんだ末に、がんで命を落としても、何の責任を取ってくれるわけでもない。無責任な評論家が人の命を軽視しているように思えてならない。

言うまでもないが、優性遺伝という現実を前提に、最終的に遺伝子診断を受けたくないという選択をする自由は確保されるべきである。

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がんプレシジョン医療;入門-2

親から子へ受け継がれる遺伝子多型で、がん治療に関係するものも当然ある。有効性に関連するものとしては、乳がんの治療薬タモキシフェンと薬剤代謝酵素CYP2D6がある。これに関する研究は、相対する研究結果が多数発表されたが、結果的には、質の悪い研究がいかに真実を捻じ曲げるかを明らかにした点で、科学史として残す価値があるくらいのものだ。(http://yusukenakamura.hatenablog.com/entry/2014/11/20/035013

乳がんの80%程度は、その細胞の増殖に女性ホルモンが重要な役割を果たしている。女性ホルモンがその受容体と結合すると、細胞が増殖(分裂)する命令を出す。タモキシフェンは、ホルモン受容体に結合して、受容体の有する増殖刺激を抑え込む性質を持っている。しかし、これだけでは、この薬剤の働く仕組みは十分ではない。患者さん自身の肝臓の中で、タモキシフェンが、CYP2D6という酵素によって変化を受けてエンドキシフェンと呼ばれる物質に変化を受けて(下図参照)、初めて薬剤としての効果を発揮する。タモキシフェンとエンドキシフェンでは、受容体に結合する力が100倍違う(エンドキシフェンのほうが高い)。

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したがって、エンドキシフェンを効率よく作ることができない患者さんは、タモキシフェンを服用しても効果が不十分となる。タモキシフェン治療だけを受けている乳がん患者さんで比較すると、この酵素の働きは低い/ない患者さんでは、死亡率が有意に高かった。私の研究室に在籍していた前佛均さん(現在、がん研究所プレシジョン医療研究センター)は、CYP2D6の機能が下がっている(と考えられる遺伝子型を持つ患者さんに対して全くない場合は難しい)、タモキシフェンの増量で対応できる結果を示しているが、このような情報は全く拡散されていない。少しの工夫で医療の質を上げることができると思うのだが、簡単なようで難しい(その理由は、「がんプレシジョン医療」シリーズの最後の方で話をしてみたい。1回に少しずつ書いているので、最後まで書き綴ると何回分になるのか、自分でもわからない。頭の中で整理している感じでは15-20回と言ったところか?もっとわかりやすい図を加えて、本として出版してくれる会社があればウエルカムだ)。

また、副作用と関連することで、すでに臨床応用されているのが、UGT1A1という酵素の遺伝子多型である。この酵素は。イリノテカン(抗がん剤)にグルクロン酸を付け加える働きがあり、それによってイリノテカンの働きを失わせる。したがって、この酵素の働きが弱ければ、イリノテカンは血液内で高いレベルで維持され(濃度が高くなり)、副作用が強く出てしまうのだ。このUGT1A1の働きが弱いと考えれれる遺伝子型を持つ患者さんへは、イリノテカンの投与は望ましくない。

「がんゲノム医療」では、がんで起こった体細胞変異(後天的にがん細胞で生じた遺伝子変化)に焦点が当たっているが、親から子へ受け継がれる遺伝子多型は、薬剤の効果や副作用に影響するし、もちろん、いろいろながんのリスクにも関連する。さらに、家族性乳がん・卵巣がん、遺伝性の大腸がん(家族性大腸腺腫症や線腫症を伴わない家族性大腸がん)などに代表される遺伝性のがんに病因となる遺伝子多型(遺伝子変異)も重要だ。

いずれにせよ、薬剤を投与した場合の患者さんは、効果・副作用によって下記の4群に分類される。もし、遺伝子情報だけでなく、いろいろな指標で効果や副作用がある程度の精度で予測できるなら

効果(+)副作用(-) 薬を投与すべき

効果(ー)副作用(-) 薬を投与すべきでない

効果(-)副作用(+) 薬を投与すべきでない

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の判断は非常に明確だ。毒性の強い抗がん剤の場合、効果(-)副作用(+)のケースも少なくなく、これが、何が何でも「抗がん剤拒否」という日本の異様な文化を醸成してきた。国の中核機関が、「抗がん剤は毒にしかならない」という一部医師の非科学的コメントに何の手も打たなかったことも、大きな要因の一つだ。

 

現実的には、多くの薬剤では、効果(+)副作用(+)の状況だ。このような場合、効果と副作用のレベルは個人差があるので、一概に判断を下すことができない。効果が副作用より大きいなら、投与した方がいいのであろうが、効果/副作用の比が重要だ。代わりとなる薬剤があるかないかによっても、この判断は変わってくる。プレシジョン医療の最終的な目標は、個々の患者さんに対して、この効果/副作用比を予測するシステムの構築と、それの臨床現場での実用化である。

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一部の医師や研究者が最重要視している臨床試験で得られた「エビデンス」の大半は、薬を投与したグループと薬剤を投与しなかった(別の薬剤を投与された)グループの比較である。「個」を重要視しているプレシジョン医療の時代には、彼らの信ずる「ランダム化比較試験」の概念だけでは通用しないのである。

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がんプレシジョン医療;入門-1

「プレシジョン医療」という言葉は、オバマ前米国大統領が2015年の一般教書演説で、「プレシジョン医療イニシアチブ」を提案したことから、広く利用されることになった。オバマ氏の発言を借りて、「プレシジョン医療」のゴールを説明すると、「the right treatments at the right time, every time, to the right person」(必要な患者に、必要な時にいつでも、必要な治療法を)となり、私が1996年に提唱した「オーダーメイド医療」にほぼ重なる意味合いを持つ。

このイニシアチブの背景は“Doctors have always recognized that every patient is unique, and doctors have always tried to tailor their treatments as best they can to individuals. You can match a blood transfusion to a blood type — that was an important discovery. What if matching a cancer cure to our genetic code was just as easy, just as standard? What if figuring out the right dose of medicine was as simple as taking our temperature?”という素朴な質問から始まる。

私の意訳では「医師は個々の患者さんの違いを認識してきたし、それぞれの患者さんに最適の治療を提供しようとし続けてきた。輸血する時には、血液型を調べる必要があることは、偉大な発見だった。どうして、がんを治癒するために、遺伝子情報を簡単に利用することができないのか?どうして、最適の薬剤量を見つけることが、体温を測るように単純にできないのか?」となる。薬を選ぶことが、血液型判定や体温測定のように簡便にでき、すべての患者さんが容易にアクセスできることを目指すプロジェクトだ。

 個人個人の生まれ持った遺伝的特徴やがん細胞などで生じた遺伝子異常情報に基づいて、より安全に、より効率的に薬剤の利用を図るものである。生まれ持った遺伝的な特徴を、われわれは、「私は……体質」、「私はこの薬は苦手」、「私の家族は……に罹りやすい家系」などと認識し、表現している、生まれ持った遺伝的特徴は、遺伝子多型という科学で説明することができる。身長や目の色などの特徴に関連する多数の遺伝子もすでに見つかっている。私は、20年前以上前に、このような遺伝子多型情報を、医学的には副作用などの回避につなげることが可能と思っていた。そして、20年間で、多くの薬剤の効果や副作用に関連する遺伝子情報が明らかにされている。米国医薬品食品局(FDA)は、ウエブページ上に数百に上る「薬剤使用時のバイオマーカー」っを「Table of Pharmacogenomic Biomarkers in Drug Labeling」として公開している。https://www.fda.gov/Drugs/ScienceResearch/ucm572698.htm (がん細胞などで生ずる後天的な遺伝子変化も含まれている)。 

がんの話題から少し外れるが、スティーブンス・ジョンソン症候群と呼ばれる薬疹(薬の服用がきっかけとなって、皮膚や色々な部位の粘膜などにアレルギー症状の副作用が起こるもの)の原因は、20年前にはまったくわからなかった。まさしく、原因不明の難病であった。しかし、今では、特定の薬剤と特定のHLA(白血球型抗原)の組み合わせが原因で、自己免疫反応を起こすことが明らかになっている。下記に示した薬剤を、右に示したHLAを持つ患者さんに投与すると、非常に高い確率でスティーブンス・ジョンソン症候群を含む重症型の薬疹が発症し、一部の患者さんは致死的な状況に至る。

アバカビル

抗HIV薬

HLA-B*5701

カルバマゼピン

てんかん治療薬

HLA-A*3101

カルバマゼピン

てんかん治療薬

HLA-B*1502

オクスカルバゼピン

てんかん治療薬

HLA-B*1502

フェニトイン

てんかん治療薬

HLA-B*1502

ネビラピン

抗HIV薬

HLA-B*3505

アロプリノール

痛風(高尿酸血症)治療薬

HLA-B*5801

フェノバルビタール

てんかん治療薬

HLA-B*5101

 

などがある。一般に市販されている解熱鎮痛剤により生ずる薬疹の候補HLA因子も見つかっている(上の5個に関してはすでに米国FDAのリストに掲載されている)。

このうち、カルマバゼピン(HLA-A*3101)やネビラピンとHLAとの関係については、われわれは報告したものである。台湾やタイでは、薬剤投与前の遺伝子レベルでの検査が行われている。薬疹に関する遺伝性を示すデータはほとんどないが、これは同じ薬剤が20-30年以上の長期間利用され、親子で同じ病気に罹患し、同じ薬剤を服用したケースが少ないからである。「私は親子で起こった例など見たことがないので、遺伝的であるはずがない」とうそぶく医師もいるが、単に科学的考察力が足りないだけだ。HLAは親から子へと50%の確率で受け継がれること、今後、長期間生き残っていく薬剤が増えてくるので、重篤な副作用を回避するためにも、これらの常識は医療関係者や一般の方が共有することが重要だ。このような知識は、絶対的に学校教育の場で教えていくべきであると思う。

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